東京高等裁判所 平成11年(行ケ)365号 判決 2000年9月25日
原告
株式会社ゼンリンプリンテックス
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁理士
【B】
被告
デグサ-ヒュルス アクチェンゲゼルシャフト
共同代表者
【C】
同
【D】
訴訟代理人弁護士
加藤義明
同
鹿野直子
主文
特許庁が、平成9年審判第21445号事件について、平成11年9月10日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1当事者の求めた判決
1 原告
主文1、2項と同旨
2 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、別添審決書写し別紙記載のとおりの構成よりなり、第42類「オフセット印刷」を指定役務とする登録第3293761号商標(平成4年9月27日登録出願、平成9年4月25日設定登録、以下「本件商標」という。)の商標権者である。
被告は、平成9年12月17日、原告を被請求人として、本件商標につき登録無効の審判を請求した。
特許庁は、同請求を平成9年審判第21445号事件として審理したうえ、平成11年9月10日、「登録第3293761号商標の登録を無効とする。」との審決をし、その謄本は同年10月21日原告に送達された。
2 審決の理由の要点
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本件商標をその指定役務について使用する場合には、印刷インキ用カーボンブラックについて、引用商標(「PRINTEX」の欧文字と「プリンテックス」の片仮名文字を上下二段に書してなり、平成3年政令第299号による改正前の商標法施行令別表による第3類「染料、顔料、塗料、印刷インキ、くつずみ、つや出し剤」を指定商品とする登録第1541634号商標)を使用する請求人(被告)又は請求人と経済的組織的に何らかの関係を有する者の取扱いに係る役務であるかのように、その役務の出所について混同を生じるおそれがあるから、本件商標は商標法4条1項15号に違反して登録されたものであるとした。
第3原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、本件商標及び引用商標の認定(審決書2頁2行~17行)は認める。
審決は、引用商標が著名であり、かつ、本件商標の指定役務と印刷インキ用カーボンブラックとは密接な関連性があるとの誤った認定に基づき、本件商標を指定役務に使用した場合に出所混同を生じるおそれがあるとの誤った判断に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 引用商標の周知著名性について
審決は、「請求人の使用に係る引用商標は、印刷インキの原料として使用される「カーボンブラック」に使用された結果、わが国において本件商標の出願時には、この種の商品を取り扱う業界において需要者、取引者間に広く知られていたものと認められ、その著名度は継続しているものと推認できるものである。」(審決書13頁15行~21行)として、引用商標の著名性を認めるが、誤りである。
すなわち、まず、被告が引用商標を使用する印刷インキ用カーボンブラックは、わが国において、平成4年で629トン、約3億円販売されているが、これは日本全体の4.7%にすぎず、しかも、このカーボンブラックは印刷インキの製造業者以外には販売されないものであるから、印刷インキの業界では知られていても、他の業界では知られていないことになる。また、「カーボンブラック年鑑」の内外の主なカーボンブラック銘柄の記載中に「Printex」の文字を使用した被告の製品が掲載され、同様の内容の広告も掲載しているが、カーボンブラック協会はカーボンブラックの製造業者及びその販売業者から構成されており、印刷インキの製造業者や印刷業者は入っていない。また、その発行部数も年間2000部と少なく、上記広告における「Printex」の文字も小さい。被告は、年鑑発行部数が1万部の塗料年間にも同様の広告を掲載しているが、これも引用商標の著名性を示すものとはいえない。
2 オフセット印刷とカーボンブラックとの関連性
審決は、「本件商標の指定役務「オフセット印刷」と被請求人の使用する商品「印刷インキ用カーボンブラック」との関係を検討するに、「オフセット印刷」には必ず「印刷インキ」は必要不可欠なものであり、「印刷インキ」の原材料として「カーボンブラック」が用いられることからすると、本件商標の指定役務「オフセット印刷」と被請求人の使用する商品「カーボンブラック」とは比較的密接な関連性があるものというのが相当である。」(審決書13頁22行~14頁5行)として、オフセット印刷との役務と印刷インキ用カーボンブラックという商品との関連性を肯定するが、誤りである。
すなわち、上記の審決の論法では、製鉄所で製造される自動車用鋼板は自動車の車体に使用されているので、自動車用鋼板と自動車は密接な関係にあることになり、さらに、その自動車を使用する役務である運送業まで関連のある業務ということになってしまう。この場合、自動車の販売を行う取引者や、自動車を購入する需要者は、その自動車の使用している鋼板の名称は知らないのが通常であるから、ある材料とその材料を使用した製品を使用する役務とは必ずしも密接な関係があるとは限らない。
そして、カーボンブラックは顔料の一つであるから、引用商標の指定商品である「染料、顔料、塗料、印刷インキ、くつずみ、つや出し剤」(旧第3類)中、被告は引用商標を顔料について使用していることになるが、顔料と印刷インキは類似せず、さらに、印刷インキとオフセット印刷も類似関係にない。これは、印刷インキの需要者は印刷業者であるが、オフセット印刷の需要者は出版業、広告業等であって全く異なる業種であるからである。実際にも、引用商標は本件商標の指定役務の業界である印刷業関係者にはほとんど知られていない。
3 出所混同のおそれの判断
上記のとおり、引用商標は、カーボンブラック、塗料、印刷インキ製造業に係る業界はともかく、印刷業、出版業、広告業等にはほとんど知られていないこと、本件商標の指定役務であるオフセット印刷と被告商品との間に関連性がないことに加え、引用商標は創造商標ではないこと、すなわち、「PRINTEX」という商標は昭和44年ころから他でも登録されており、また、同一又は類似の称呼を有する会社も多く存在し、特にその名前自体で自他商品識別性に優れた商標とはいえないこと、引用商標は被告のハウスマークではないこと等を総合的に判断した場合には、本件商標をその指定役務に使用しても、出所混同のおそれはないというべきである。
第4被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
1 引用商標の周知著名性について
原告は、オフセット印刷の需要者に引用商標が知られていないから出所混同のおそれはないと主張するが、製品の性質上、取引業者及び顧客層が一部の範囲の者に限られる場合は、そのような取引業者及び顧客層の中で周知著名であるかを判断すべきである。そして、印刷インキ用カーボンブラックは一般消費者を対象にした消費材と異なり、特定の需要者(印刷インキ製造者)を対象とした商品であるから、本件で問題とすべきは、オフセット印刷業者にとっての周知著名性ではなく、印刷インキ業者にとっての周知著名性である(東京高等裁判所平成8年12月12日判決、乙第21号証参照)。審決も、このような意味での著名性を認定するものである。
なお、印刷インキに関係する業務に携わる者にとっては、公害対策、労働安全衛生、危険物の管理、食品衛生などに係るインキ関連法令を理解しておく必要があり、したがって、印刷用インキ製造者及び印刷業者がインクの成分、原料を知らないということはあり得ず、印刷インキの原料であるカーボンブラック及びその商品に使用される「PRINTEX」の商品名は周知であるといえる。
2 オフセット印刷とカーボンブラックとの関連性について
カーボンブラックは印刷インキの原料として使用されるから、両商品は原料と製品の関係にある。同様に、本件商標の指定役務「オフセット印刷」と印刷インキの関係も、印刷インキの需要者は印刷業者であるから、これらは印刷という目的を共通にし、かつ、オフセット印刷という役務の提供場所と印刷インキという商品の販売場所は一致するから、本件商標の指定役務と引用商標の指定商品は密接不可分の関係にある。
3 出所混同のおそれの判断について
原告は、引用商標は創造商標でないと主張するが、被告の独創による商標であり、ドイツを初め世界56か国において商標登録されているものである。
第5当裁判所の判断
1 引用商標の周知著名性について
(1) 引用商標が実際に用いられているのは印刷インキ用カーボンブラック(引用商標の指定商品中、「顔料」がこれに該当する。)であることは当事者間に争いがないところ、その需要者が印刷インキ製造者に事実上限定されることは被告の自認するところであって、被告商品が、印刷インキの原料としてインキ製造業者の使用に供されるほかに、他の用途を持つ汎用性のある商品として取引がされるとか、インキ製造業者以外の一般消費者等が直接需要者となるといった事実を認めるに足りる証拠はなく、被告商品は、その需要者を印刷インキ製造業者に事実上限定する専門的に特化された商品であると認めるのが相当である。
他方、本件商標の指定役務であるオフセット印刷の需要者は、印刷業者や広告業者等であるから、被告商品の取引業者ないし顧客層と共通しないことは明らかである。
そこで、以下、引用商標の周知著名性の判断についても、印刷インキ用カーボンブラックの取引者及び需要者と、オフセット印刷に係る業界とに分けて検討する。
(2) まず、印刷インキ用カーボンブラックの取引者及び需要者における引用商標の周知著名性について見るに、甲第8、第10~第15号証、乙第2号証の1~9及び弁論の全趣旨によれば、被告は、その製造に係る印刷インキ用カーボンブラックに引用商標を使用した商品名を付して(具体的には「Printex90」など、品番ごとに数字やアルファベットを組み合せて表示。以下、これらの名称の付された被告の製造に係る印刷インキ用カーボンブラックを「被告商品」という。)、被告の子会社デグサ・ジャパン株式会社を通じて日本に輸入していること、被告商品の我が国における販売量は、本件商標の登録出願当時である平成4年において、629トン、約3億円であって、これは同年中の日本全体の印刷インキ用カーボンブラックの消費量の4.7%を占めること、また、被告商品の名称は、年間発行部数約2000部の「カーボンブラック年鑑」(旭カーボン株式会社ほか5社のカーボンブラック製造会社及び伊藤忠商事株式会社ほか13社のカーボンブラック販売業者を会員とするカーボンブラック協会発行)の昭和46年版、同51年版、同62年版、平成2年版に「内外の主なカーボンブラック銘柄」として記載されているほか、デグサ・ジャパン株式会社による被告商品の広告も、同年鑑及び平成3年版以降の塗料年鑑(毎年の発行部数1万部)に掲載されていることが認められる。しかし、これらの広告における引用商標の取扱いは、単なるアルファベットと数字だけの組合せによる商品番号(例えば「FW200」など)と同列であって、比較的小さな文字で目立たない態様で掲載されているにすぎず、特に「PRINTEX」という名称を印象付けようとしたり、又はそのブランド力を利用しようとする意図を看取することはできない。
また、被告がインキ製造業者らから徴求した、引用商標が被告商品を示す著名なものであることの証明書(甲第9号証の1~11、乙第19号証の1~7)は、あらかじめ証明事項を不動文字で記載した書面の下部に、各インキ製造業者の記名押印を徴したというだけのものであるうえ、その一部は、甲第44号証及び甲46号証の1(原告が徴求した同様の証明書)と矛盾する内容となっているなど、信用性に乏しいものといわざるを得ない。
さらに、引用商標の「PRINTEX」なる語は、印刷を意味する「PRINT」の語尾に「EX」を付加した造語であるが、これと同一の商標は、商品区分を別にすれば、昭和41年に凸版印刷株式会社、昭和47年に昭和石油株式会社、昭和58年に旭化成工業株式会社等が登録出願し、登録に至っているほか、同一又は類似の称呼を含む商号を有する会社は我が国においても多数存在しており(甲第19~第27、第37号証)、これらを踏まえると、引用商標にさしたる独創性を認めることはできない。
そうすると、4.7%というシェアは、必ずしも高いものではないこと、上記の広告は、必ずしも引用商標自体の自他識別力を意識したものとはいえないこと、引用商標の付された商品が特徴的な商品特性で知られていたなど、他に引用商標の周知性を補強する具体的な事情がうかがわれないこと等を踏まえると、引用商標が印刷インキ用カーボンブラックの取引者及び需要者の間で周知であったとは認められない。
(3) 次に、本件商標の指定役務であるオフセット印刷に係る業界における引用商標の周知著名性について見るに、オフセット印刷の需要者である出版業者及び広告業者等はもとより、これを提供する印刷業者に関しても、印刷インキの一原料にすぎないカーボンブラックの取引に関わる機会があると認めるに足りる証拠はなく、かえって、原告が印刷業者及び広告業者を中心に実施したアンケート調査によれば、印刷インキにカーボンブラックが用いられていることさえ知らない者が大半であり、被告商品に係る引用商標を知っている者はごく少数(77名中2名)に止まるとの結果が示されている(甲第45号証の1~17、第47号証の1~39、第65号証の1~21。なお、これらのアンケート調査は、問いごとに独立して「はい」と「いいえ」を自由に選択して回答者が記入する形式であり、前述の証明書よりは信用性が高いと考えられる。)。以上の点からすると、引用商標は、本件商標の指定役務であるオフセット印刷に直接関わる印刷業者、出版業者、広告業者らの間においては、ほとんど知られていないと認めるのが相当である。なお、被告は、これらの業者であっても、各種法令の遵守の要請から、その取扱いに係るインキの成分は当然知っているはずであると主張するが、具体的な証拠の裏付けを欠く主張といわざるを得ず、採用できない。
(4) 以上のとおり、引用商標の周知著名性は、印刷用インキ用カーボンブラックの取引者及び需要者においても、また、本件商標の指定役務であるオフセット印刷の取引者及び需要者、すなわち出版業者や広告業者等においても、これが周知著名であると認めることができない。
2 指定役務と被告商品との関連性
審決は、本件商標の指定役務「オフセット印刷」と被告商品(印刷インキ用カーボンブラック)とは「比較的密接な関連性」(審決書14頁4行~5行)があるとする。
確かに、オフセット印刷に印刷用インキは必要不可欠であって、印刷用インキの原料としてカーボンブラックが用いられるという意味での関連性があることは、その限りで、審決が説示するとおりである。しかし、オフセット印刷と印刷用インキとの間であれば、その用途及び目的に照らして、直接的な関連性を認め得るものの、本件では、印刷用インキを媒介物として、その一原料にすぎないカーボンブラックと、オフセット印刷との関連性が問題となるのであるから、両者の関連性は間接的なものに止まるといわざるを得ない。
しかも、印刷インキ用カーボンブラックが専門的に特化された特殊な用途の商品であって、両者の取引業者や顧客層が共通しないことは前述のとおりであるから、例えば、被告商品のブランド力を用いてオフセット印刷への多角化展開を有利に進めようとか、オフセット印刷の分野においてこれにフリーライドしようとする動機はほとんどないと考えるのが自然であり、こうした意味においても、両者の関連性は乏しいというべきである。
3 出所混同のおそれの判断について
上記1、2の認定判断のとおり、引用商標の周知著名性、本件商標の指定役務と被告商品との密接な関連性ともに認められないのであって、本件商標をその指定役務について使用しても、出所混同のおそれを認めるには足りないといわざるを得ず、商標法4条1項15号に違反して本件商標が登録されたとした審決の判断は誤りというべきである。
4 よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担並びに上告及び上告受理の申立てのための付加期間の指定につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、96条2項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 長沢幸男 裁判官 宮坂昌利)